Senta.

ダイエットを監視されたり阻止されたり、王子捕獲に励んだり、なにかと慌しいさいこちゃんの日記です。

2017-08

稀代の大嘘つき

めでたく江戸を霊的に守るものをやっと見つけ
ふぅ  と一安心

ですが
納得いかない方もいるに違いない

  偽の鬼門を提示してその先に徳川の菩提寺を作りました
  あぁそうですか
  じゃ なんで小田原口門を普通に使い始めたんですかぁ
  不浄門として作られた平川門はどう説明してくれるんですかぁ
  しかも増上寺は菩提寺とか言いながら
  寛永寺にも将軍廟があるじゃないですかぁぁぁ



 家光による大改造 


芝公園にある増上寺は 1598年に現在の地に遷移され
徳川家の菩提寺となった

   二代将軍秀忠は1632年に没し 増上寺に葬られる

   1623年存命中に将軍職は家光に譲っていたけれど
   まだ実権は握っていた
   だからこの瞬間

   すべてが家光の自由になった 

      目の上のタンコブとはこのこと
      元々仲の悪い親子
      将軍職を任命し 諸大名を前に
      「 余は生まれながらの将軍 」 と言ってはみたものの
      秀忠が実権を握り 好き勝手には出来なかった

   この日をどれ程待ち望んでいたことか
   謀反を避けるため秀忠の死を隠蔽する進言を却下し
   逆に「 今より天下の主は余一人である 」 と言い放し
   古くから重臣達も次々と改易する

   1635年 古い末な木戸門しかなかった平川橋に桝形門を作り
   三の丸の正門としての機能を持つようになる
   罪人や死人はこの門から外に出す不浄門としても使われ始める

   翌1636年小田原口門を改築し枡形を作り
   通常の門としての役割を持つようになる
   同時期に千鳥ヶ淵も埋立てられる

     家康廟も日光に出来たことだし
     北斗七星も完成してるし
     風水都市っぽい寛永寺もあることだし

   「 偽鬼門も増上寺ももうイイんだ~ 」
    「 東照宮も建て替えちゃおっかな
      オトンの造った地味なのじゃなく
          お祖父様にふさわしい物を 」


     陽明門

  
      東照宮建て替えについては
      ちょうど20年目ということもあり
      伊勢神宮の式年遷宮を模したという話だけど
      定着してないしね


  そして家光は家康と共に日光で眠ることになるのだが
  その前に一旦他の場所に葬られる その場所とは

           寛永寺


こうして寛永寺は新鬼門守護寺及び徳川の新菩提寺いう
新たな噂が出来上がる

     
この説が広まるのは簡単ですよね
天海の建てた寛永寺 京がそのまんま移された寛永寺ですから
鬼門を守ってるって 誰も疑いもなく信じちゃうよ

  真逆にある増上寺より 簡単につけるウソ

なによりその前に寛永寺鬼門説は
江戸の中心である首塚じゃなく
江戸城に目を向けさせた場合の鬼門なわけで
自分達の居城をターゲットとして提示してたのか


そしてそのウソに 現代までの約370年もの長い間
私達は騙され続け 江戸は守られ続けてたんだね



      恐るべし 家光



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   死ぬまで徳川を補佐し続け
   その繁栄と不滅を願った天海

   徳川に最後まで忠義を尽くし滅んでいった彰義隊も
   寛永寺に立て篭もった

   
鬼門かどうかは別として
江戸時代を通して寛永寺は
   江戸守護の象徴 だったのかもしれない
   でも江戸を守るというより 徳川を守りたい って方が妥当かな?




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コメント

なんだろう・・・

遅い時間にこんばんは☆

なんだろう・・・冗談とかお世話とかじゃなくて、不思議な感動につつまれています。

さいこちゃん説の真偽のほどは三代目にはわかりませんけど、でも!

結局、物事の真実とか本質に近づいていくことって、知識とかそういうことじゃなくて(いやそれも必要でしょうけど)、『その対象への愛情』が一番大事なんだなって思いました。

三代目にはさいこちゃんが、幻のトロイアを発掘したシュリーマンに重なって見えましたよ。

さいこちゃんの推理を聞いて、徳川将軍家にまつわる何人かが、泉下でニヤリ(あるいはギクリ)としているような気がします(笑)

拍手です!!

なるほどなぁ 家光は本当に秀忠と仲が悪かったそうという

証明にもなる説明だね。

恨みすらもってたのではと思う。

その恨みから 江戸を守りたい 

周りが見えなくなってしまわないように

天海も頑張ったんだね。

なるほど
秀忠と家光は仲わるかったんだぁ。

ほんと、いつも興味のそそる内容で
すごいなぁ。さいこちゃん。

こんばんは~
歴史あまり得意じゃないんですけど、
徳川家には、こんなドラマがあったんですね。
興味深く読ませていただきました。
親子で不仲というのも初めて知った。
天下人達の考えることってスケールが違って面白い。
陰陽道が政治を動かしていた時代って、
そこにエネルギー注いでいるのも面白いね。
そう言う時代が脈々と続いていたのに、江戸時代以降
そういう風水的な考えからよく抜けだせたもんですね。
知らないだけかな。

三代目 sama

トロイアならカッコイイけど
対象が家康と天海では・・・確かに江戸の街はいいかもしれないけど

でもありがとうございます(〃ω〃)

元々家康が好きだったわけでもなくて
単なる好奇心でココまで辿り着きました
毎週お付き合いしてくださる皆様のおかげです

同じ江戸時代でも初期の頃と幕末頃では
いろんな事が変わってますから
ギクリとしてる人 結構居るかもしれないですね~(笑)

よっちママ sama

よっぽど仲悪かったんだと思いますね

一説では家光は宗教的感覚は秀忠より上だったとも言われてるから
それまでのことを覆して
秀忠とは違うやり方で家康と共に
江戸を守りたかったのかもしれないですね

頂点に立つ者の関係が悪ければ
氾濫を起こしやすい
だから天海はず~っとその間に立ち続けたんですね
すごいね

今の政府にもそういう人いないかなぁ('・c_・` ;)

家康 たぬき爺さん 秀忠 たぬき親父に頭の上がらない息子 家光 父親よりもたぬき爺さんを崇拝していた孫
この三代の関係の中をうまく泳いでいったのが天海なんですよね(^^) その術こそが天海マジック(引田天功みたい)つまり
天海が徳川幕府創世記において、重要な役割を演じたことは間違いのないことである。天海が江戸の町に描いたマンダラが風水なのか陰陽道なのか、あるいは密教呪術による国家鎮護法なのかはなかなか見えてこない。ひょっとすると天海オリジナルの呪術ということも考えられるのでは~これこそが天海マジック
とにかく江戸幕府が265年も続いた結果をみると案外このマジックもまんざらではなかったかもよ(*^_^*)

よっしー sama

この頃って
親子仲こじれちゃうと ホントに命がけだったんですよね・(=ェ=`;)
家康の言葉がなかったら
家光は将軍になれなかったかもしれないワケだし

でも私 よっちママsanのコメントで気が付いたんですよ
家光の時まで仕えた天海の存在理由
よっちママsanもすごいですよね

aaconee さま

私はブチリとキャギャクが苦手だったけど
ヂリ(地理)も苦手なんですよ~~~
だから親子の不仲説は知ってたんですけどね
神戸県や名古屋県だと思ってましたから
よその家庭の事情に詳しい・・・まるで家政婦だ(笑)

でも国造りにはかなりのエネルギーが必要ですね
おっきなスケールで考えなきゃ
ちっちゃな事ばかり考えちゃダメなんですね きっと

政治的に風水や陰陽師が活躍するって
明治以降はあまり大っぴらではないけど
もしかしたら今でもあるのかも

それに日本人の生活習慣や考え方や宗教感には
今も風水や陰陽道の影響を受けたものがたくさんあるんですよ
だからaaconeeさんも実は知らず知らずのうちに
どっぷり陰陽道に浸っているのかもしれないですよ(。・w・。)ウフフ

ケン sama

天海の存在は
宮本先生がおっしゃるには 
「 幕府のクッション役 」 だそうで
よっちママsanがおっしゃるには
「 親子間のクッション役 」
私的にはどちらもアリですね

呪術も天台宗、風水、陰陽道
全て知り尽くして良いトコ取りという
実に日本人らしいやり方で天海×家康コラボのオリジナルだと思います

上手く泳いでいたのか 天海がいたから上手く流れたのか
どちらにしても天海の呪術は完璧でした

やっぱり水戸から将軍を出したのがマズかったか・・・

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