Senta.

ダイエットを監視されたり阻止されたり、王子捕獲に励んだり、なにかと慌しいさいこちゃんの日記です。

2017-04

〆ちゃうよ エピローグってやつです

調べ始めて2年と7ヶ月
全15回というビミョウな回数で
ようやく江戸とサヨナラすることが出来る 

専門の学者先生には突っ込みどころ満載かもしれないし
プロのモノ書きさんのように
順序良くわかりやすい説明も出来なかったけど
導き出された説は 大きな声では言えないけど
     ちょっと自信あります 


明治以降 徳川による魔方陣は
新政府により少しづつ崩されて
さらに違うパワーによってその完璧な力は失ってしまったけど
今も将門様は自分の定位置 東京のど真ん中で
日本の社会を見ています

しかも いまだパワーは衰えることなく
むしろその力を出しまくったのは
明治~戦後にかけて
( 江戸を守るっていうより自分を守ってる感じはするけど )
将門様にそれ程の力を持たせたのは
江戸市民の心だったのかもしれません

  日本の神様は信心によってパワーを増しますからね
  力をなくし堕落すると妖怪になっていく
  気持ちの強さ一つで人間すら神になってしまう
  それが日本の神様

その神様と上手く手を結び国を造った家康と天海
江戸時代がいろんな問題を持ちながらも
260年という長い年月続いたのは
統治者の 未来までも守ろうとする志 によって
造られた国だったから

 

  それは幕末徳川を守るという志や徳川を潰すという志のような
  藩や個人レベルの拡大版みたいなものではなく  
   ( 長州の倒幕は国家大義より恨みの方が多かった )
  権力者の暴利のためでもなく
  天皇陛下のためという非人格的なことでもない

    国家の存続と 継続的泰平 

   いつの時代も国民の願いはこれ一つ 
   だから政治家の目的はこれ以外であってはならない

   100%上手くいくことばかりじゃないかもしれない
   多少の犠牲は出るのかもしれない
   でもこの大義をなくしてしまったら
   政治家は国税で養われているだけの人になってしまうよ



偶然にも今の日本
今週は大丈夫でも来週辺りには傾いちゃうんじゃないかって
         ・・・・そんな風に思うのは私だけ?


   今も昔も日本の中心は変わらない
   その場所で行なわれてるマツリゴト
   
  躓いたとき 江戸の町を見れば何かヒントがあるかもしれない



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                     最終回記念に押し捲り  プチプチプチ~と


   おかげさまで 
      週刊 『 江戸の霊的守護 』 締めくくることができました

   意味のわかんないことい~っぱい書いてる日もあったと思います
   最後までお付き合いしてくださってありがとうございました 
   読んでくださる方がいるから最後までたどり着けました
   今年の目標を ひとつクリアできました

    ホントに 感謝 です

      さて 明日からは今まで溜め込んでいたいろんな事
      ちゃんとやっていかなきゃ~~

    江戸史料
        こんな資料も 次使うことあるのかなぁ
        とりあえず持って帰るか


    江戸メモ
        この辺はゴミか?


 
  明日からの普通のブログもよろしくね

     え? 京都? やんない 



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ちょっと脱線して考える天下取り

室町幕府崩壊以降 天下取りを目指した3人

   織田信長  豊臣秀吉  徳川家康

    のぶなが     ひでよし     いえやす

よくこの3人て比べて語られるけど
目的もバラバラだったんじゃないかな
「 ホトトギス 」 の例えは有名だけどそんな簡単なものじゃない

信長は天才だった
政治家としても戦略家としても芸術家としても
だから自分の理想の世界を完成させようとした

秀吉は信長の天下統一の後を継いでと言われるけど
思い上がりも甚だしい  ← 暴言


本能寺の変の黒幕 = 家康 説を支持するのは
この辺にも理由がある

信長が目指したのは日本を取ることではなく
天皇を抑えることでもなく 世界だったと思う
日本を統一したところで平和な世の中は訪れなかったのかもしれない

  理性と分別ある明智光秀が 
  信長に叱咤されたくらいで謀反を起こすハズが無い
  信長に罵倒された 恥をかかされた 恨みを持つ
  そんな武将は山ほどいる
  家康だってその一人
  
  家康は知っていたに違いない
  信長は天下では 太平の世は来ないことを
  世界を手にした信長亡きあとの混乱を


家康の国づくりは きっとそこから始まっていた


秀吉はなんだかんだ言って
信長の死をいいことに すき放題やり放題で力を手に入れる
光秀ならそんなことはしなかったと思われる
所詮秀吉は単なる成金でしかない

子供の頃から武家の人間として戦乱の世を生き
苦労を重ね地道に学んでいった家康

天下統一を目指した3人の中で 平和を望んだのは
家康だけじゃないのか?



戦乱がなければ 秀吉なんて
その辺の野良仕事をしている貧乏足軽でしかなかった
秀吉にとっては VIVA戦国時代なんじゃ?

自分と自分の子供をただただ溺愛する秀吉と
自分の息子すら手にかけさせられた家康では
国作りに対する気持ちの重さが違う


太平の世とは戦のない世の中
仕事にあぶれた兵を朝鮮出兵させ戦わせ続けるのではなく
家康は 役人や政治家という公務員的役割を与えた



天海と光秀の同一説は イマイチ信憑性にかけるけど
朝廷からの信頼も厚かったといわれるほどの人柄で
知識人だった明智光秀
つながっていたとしても不思議じゃない


     最終回予告


家康の国作りが 本能寺の変から始まっていたとすれば
天海が家康を補佐する理由も なんとなくわかる気がする




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    長かったねココまでくるの
    ホントは今回で最終回のつもりだったのに
    話が横道にそれちゃったから来週だね~


    すみません いつまでも引っ張って

稀代の大嘘つき

めでたく江戸を霊的に守るものをやっと見つけ
ふぅ  と一安心

ですが
納得いかない方もいるに違いない

  偽の鬼門を提示してその先に徳川の菩提寺を作りました
  あぁそうですか
  じゃ なんで小田原口門を普通に使い始めたんですかぁ
  不浄門として作られた平川門はどう説明してくれるんですかぁ
  しかも増上寺は菩提寺とか言いながら
  寛永寺にも将軍廟があるじゃないですかぁぁぁ



 家光による大改造 


芝公園にある増上寺は 1598年に現在の地に遷移され
徳川家の菩提寺となった

   二代将軍秀忠は1632年に没し 増上寺に葬られる

   1623年存命中に将軍職は家光に譲っていたけれど
   まだ実権は握っていた
   だからこの瞬間

   すべてが家光の自由になった 

      目の上のタンコブとはこのこと
      元々仲の悪い親子
      将軍職を任命し 諸大名を前に
      「 余は生まれながらの将軍 」 と言ってはみたものの
      秀忠が実権を握り 好き勝手には出来なかった

   この日をどれ程待ち望んでいたことか
   謀反を避けるため秀忠の死を隠蔽する進言を却下し
   逆に「 今より天下の主は余一人である 」 と言い放し
   古くから重臣達も次々と改易する

   1635年 古い末な木戸門しかなかった平川橋に桝形門を作り
   三の丸の正門としての機能を持つようになる
   罪人や死人はこの門から外に出す不浄門としても使われ始める

   翌1636年小田原口門を改築し枡形を作り
   通常の門としての役割を持つようになる
   同時期に千鳥ヶ淵も埋立てられる

     家康廟も日光に出来たことだし
     北斗七星も完成してるし
     風水都市っぽい寛永寺もあることだし

   「 偽鬼門も増上寺ももうイイんだ~ 」
    「 東照宮も建て替えちゃおっかな
      オトンの造った地味なのじゃなく
          お祖父様にふさわしい物を 」


     陽明門

  
      東照宮建て替えについては
      ちょうど20年目ということもあり
      伊勢神宮の式年遷宮を模したという話だけど
      定着してないしね


  そして家光は家康と共に日光で眠ることになるのだが
  その前に一旦他の場所に葬られる その場所とは

           寛永寺


こうして寛永寺は新鬼門守護寺及び徳川の新菩提寺いう
新たな噂が出来上がる

     
この説が広まるのは簡単ですよね
天海の建てた寛永寺 京がそのまんま移された寛永寺ですから
鬼門を守ってるって 誰も疑いもなく信じちゃうよ

  真逆にある増上寺より 簡単につけるウソ

なによりその前に寛永寺鬼門説は
江戸の中心である首塚じゃなく
江戸城に目を向けさせた場合の鬼門なわけで
自分達の居城をターゲットとして提示してたのか


そしてそのウソに 現代までの約370年もの長い間
私達は騙され続け 江戸は守られ続けてたんだね



      恐るべし 家光



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   死ぬまで徳川を補佐し続け
   その繁栄と不滅を願った天海

   徳川に最後まで忠義を尽くし滅んでいった彰義隊も
   寛永寺に立て篭もった

   
鬼門かどうかは別として
江戸時代を通して寛永寺は
   江戸守護の象徴 だったのかもしれない
   でも江戸を守るというより 徳川を守りたい って方が妥当かな?




これが江戸だっ

北極星と北斗七星による魔方陣に行き着いたものの
将門様といえばやはり首塚

神田神社も将門様の神社だけど
首塚は他の合祀される神様もなにもなく
ただ塚があるだけ
それだけなのに将門様の象徴とも言える

そんな首塚をただ北斗七星の一部として扱ってもいいものか
その辺をもう一度 調べてみる必要があった



  江戸の中心で真実を叫ぶ   

北斗七星に関して こんなものを見つけた

     北斗七星と霊符

  
  北斗七星と霊符

  霊符って まぁお守りみたいなものだけど
  干支による霊符は北斗七星霊符でもある

       霊符と干支

    それぞれの星にそれぞれの名前と霊符
    これを江戸の北斗七星と照らし合わせて考える

星辰信仰と将門信仰による守護1

    首塚は 禄存星 寅年の守護
    

トラ?

    家康は寅年生まれ
    江戸入りの時も 自分の干支の寅年に合わせたというし
    家康が鬼門守護の為に仕掛けた罠 虎ノ門


      トラだ~~~~ 

首塚が自分の守護星である禄存星の位置に来る北斗七星を作った


  首塚から始まる江戸の堀
  首塚の前に移した大手門
  
    江戸の中心は首塚

    将門様のパワーを大手門から江戸城内へ取り込む
    将門様のパワーが堀をつたって江戸の街中へ流れる
    首塚は日光と言う北極星と江戸の北斗七星によって力を増す

最初に自分で首塚から江戸の街を作ったと書いておきながら
ここへ行き着くまでどれほど遠回りしただろう
江戸城の中心は本丸かもしれないけど
天守閣は3度も位置を変えて建てられ
四代家綱の時代の1657年
明暦の大火により焼失以来建てられることはなかった 
所詮天守閣などという建物はお飾りでしかない

  そもそも家康も天海も 江戸城を守りたかったわけじゃない
      守るべきものは自分の治める国だから



そして首塚から正確に東北45度線の方角にあるもの

   浅草寺

  浅草寺は今でこそ聖観音宗の総本山だがそれは第二次世界大戦後の話
  それ以前は天台宗のお寺だった

  間違いない

    江戸の鬼門守護は浅草寺 


   浅草寺は家康によって幕府の祈願所に定められたけど
   古くからのお寺ってだけでは物足りない
   そこから考えても 浅草寺説が有力だったのかもしれない


            な~んて 今更何言ってんだか 


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この件を調べ始めたころ
知恵袋かなんかで江戸の鬼門に関する質問の答えに
 「 浅草寺は祈願所 」 とすっごい上から目線で書いていた人がいる

  確かにそうだけど それは寛永寺も同じ

  それにさ 祈願するよ お寺だもん
  みんなお願いに行くでしょ 浅草寺じゃなくても


  家康も天海も当然祈願したと思うよ
   
      江戸を守ってください  ってね


号外 家康死去

今日は真面目に
家康が日光に祀られた件を考えていきたいと思います

   もちろん 今までも真面目にやってましたが


家康は1616年駿河城にて亡くなります
 死因は二代目茶屋四郎次郎の献上した鯛の天麩羅の食べすぎだとか
 実は胃がんだったとか言われていますが
 その真否は今はどうでもいいので
 お好きな説を信じていただくとして

そのときの家康の遺言

  一両日以前、本上州、南光坊、拙老、御前ヘ被為召、被仰置候ハバ、
  御体は久能へ納、御葬礼をハ増上寺にて申付、
  御位牌をは三州之大樹寺ニ立、一周忌も過候て以後日光山に小き堂をたて、
  勧請し候へ、八州之鎮守ニ可被為成との御意候


     入力してても自分で何打ってんのかわかんないや 

簡単に言えば

  自分が死んだら 遺骸は久能山に納めて神に祀り
  葬儀は増上寺で行い 三河の大樹寺に位牌を立て
  一周忌が過ぎたら日光に小さなお堂を建てて勧請して欲しい
  関東八州の神となろう



              ・・・ということらしい


   家康の遺言



  誕生 東照大権現  


古来より日本社会は 
天照大神を祖先に持つ皇室中心のものであった
だから家康は皇室と同等の力を徳川が得るために
自ら江戸を守る祖先神となる必用があった

久能山も三河も家康縁の地であり
そこへ一旦葬ったり、位牌を立てるということは
家康を神が為るために自分のルーツを辿る儀式であり
西国鎮護のための一種の霊的マーキングと思われる


日光山は古代から関東随一の山岳信仰の霊場で
家康が個人的に尊敬していた源頼朝も厚く信仰していた
天海が日光山の貫主であった
などなど 多くの理由が考えられるけれど
私的には 江戸の真北に位置する 
             という理由は絶対に外せない


そして父家康と協力しながら
江戸幕府を築いてきた二代将軍秀忠は
父の遺言通り

   父が偽裏鬼門の守護として移転した増上寺で葬儀を行い
   一年後 日光山に小さなお堂を建てて家康を祀った

     今の豪華絢爛な日光東照宮からは想像もつかない
     和様を基調とした彫刻や彩色も少ない
     実に質素なものだったらしい


こうして家康は 東照大権現 という神になる

   東照宮とは
   天照に対抗するものであり 東 ( 江戸 ) を照らす宮のこと


もしかして江戸の真北に位置する日光山に祀るというのは
北極星を示しているのではないだろうか

   古くから天台宗の霊場であった日光の地で
   北斗信仰を説く天台宗の僧侶天海の手によって

   日光に現存する家康像の左右には山王七神、摩多羅神が描かれ
   左右の神の上部には北斗七星が描かれている
  
     輪王寺の摩多羅神 日光輪王寺の 『 摩多羅神像 』
 

同じように 
  家康という名の北極星には 
          江戸の北斗七星
   

       この北斗七星は1612年首塚から神田神社を遷移し
       家康が死去した1616年
       津久土神社を八幡宮の隣りに遷移したことにより完成する


  誰かが亡くなったとき
  「 お星様になった 」 っていうけど
  家康はホントにお星様になって 江戸を守り続けていたんですね 

 

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    東照宮って
    東を照らす宮だけど 東の天照大神でもある

    東照宮って名を持つことにより
    北極星としてのみならず 太陽としても祀られてるのかな

    けっこう欲張りだね (笑)

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